2013/11/18月:
市内某所へ。後ろの方に独り言の多いおっさんがいて面倒くさいなあと思っていたのだけれど、昼間2時間くらい姿を消していたのから戻ってくると、もう独り言とは言えないほどのおかしさへ突入していたので、席を移った。警備員とかもそれなりの態勢になっていたのだけれど、強制的に排除するわけではなく後味の悪い記憶になった。冬なのにあぶない人やだな。川崎戦のチケット買おうとしてボルテ寄ったら、休日だった。しくしく。
生協のコピーが5円で助かる。
11/19火:
浦和の方へ取り寄せてもらうこともできるのだが、「地方競馬史」を読むために県立久喜図書館へ行く。快速だったので早く着いた。久喜駅は初めて降りるけれど特筆することはなく、寒梅酒造の前を通ってくねくねと歩いていく。
全4巻それなりにボリュームがあるものの、基本的には埼玉周りの記述を中心に読んでいく。八王子競馬にまつわる座談会形式の記事が面白かった。売得金や入場人員の数値が本によって異なることを発見。「浦和の鼻息が荒い」時期っていつごろのことなんだろうか。確かにスタンドにぎっしり人が入った写真とか見るとすごいなというか違和感ばかりだが。人(調教師・騎手・馬主)と馬の話がほとんど出てこないのは、歴史の授業で政治体制の変遷ばかりやるのと似ているのかも。
二巻p.557
「戦前には、競馬は刑法の除外例という考え方で、あまり人のいない所でやれ、という暗黙の政府の指導があったようですよ」
これは春日部→浦和、八王子→大井、戸塚→川崎、柏→船橋の流れの話。立地はいいかえればマーケティングなのだけれど、場外発売所の設置に苦労した経緯の後、今やネットと携帯と銀行口座で投票できる時代はどこでやっていても同じ、という状況ですらあるのと比べれば隔世の感。
時間があったのでJRA編の「日本競馬史」全7巻も持ってきてもらったが、六巻までが昭和20(1945)年までにあたり、七巻も斜め読み。
最初に座った席が新聞の近くだったので、無遠慮にめくる音(高齢者ばかり)が気になったので、奥の方へ逃げたのに追いかけてきやがって。
浮上してきたテーマは、
1.騒擾事件(競輪も含む)
2.浦和競馬の番組、人、馬
3.南関4場の交流(地方交流、中央交流も含む)
4.メディア
というところ。4.については白井新平から始めてみようか。
18時前に戻ってきたので、北浦和の「志げる」。前は何度となく通っていたが初めて。お通し(厚揚げの煮物)からしてうまかった。
11/20水:
午後から活動。職安寄って、中央図書館へ。「埼玉県史」を立ち読みしていたら、県営競技の記述があったので座ってメモとりながら読みたいなと思ったら専用デスクで指定をもらう仕組みらしい。ふと気づけばテーブル席はいろいろなところに配置されているし、貸し出しも端末があって自動化されていたのだった。検索端末も分散して置かれているし、1箇所に固めたりしないこういうレイアウトは最近の設計方針なんだろうなあ。
先日作って気に入った鶏胸肉の炊飯器での調理を再び。2枚入れたから少し時間をかけた(1.5時間くらい)。
これは塩を2つかみくらい投げ込んだ熱湯を注ぎいれたところ。このあと保温ボタンだけ押して放置。
朝から話題になっていたことがチーム公式で発表になる。山田暢久、野田紘史、永田拓也と来季の契約を更新しない旨。こずラジも多くの時間を割いてインタビューを放送した。
借りてきた本はテレビでオーシャンズ11とか見てしまい進まず。
11/21木:
昼間活動した反動で夕食後の読書時にソファで寝落ちしてしまった。
その反動で眠れないのでYouTubeを見るのだけれど、ふとマレーシアの歌手Sheila Majidを検索すると、右の方に出るレコメンデーションにMemes – Terlanjur Sayang | Official Videoの文字が。言葉は近いのだけれど、マレーシアとインドネシアの音楽市場は当時(1990年代後半)分かれていたはずなので、大方、Goo(ピー)の得意技でiTu(ピー)あたりの演奏履歴を参照してのことだろうとは思うが、こんなのあったんだ、という感じ。
この頃はアジア旅行の時代で、現地でカセットテープを買ったり、東京でも売れ筋のCDは買えるようにはなっていたので、基本ジャケ買いをした中の1枚だと思う。これもまた便利な時代になったWikiを探して読むと何と同い年だと今頃知る。1994年の発売の1stアルバムからのタイトルシングルカット曲。このアルバムに入っている”Lagu Tahun Baru”も好きな曲。
東京でCDが買えた、といえば真っ先に挙がるのが池袋のWAVEだったのだけれど、検索するといろんな分野であの店はよかった、と書いているブログばかりで面白い。地下のちょっと微妙な一角が「ワールドミュージック」に割り当てられていた記憶があるが、懐かしさもこめて、ブログのネタに困る日はこのシリーズで他の歌手についても書いてみようか。
11/22金:
引きこもり。
「活字競馬に挑んだ二人の男」(江面弘也著 ミデアム出版社 2005)読了。
活字競馬に挑んだ二人の男
今へ続く競馬新聞の「ケイシュウNEWS」の前身「競馬週報」「競週ニュース」を発行した白井新平とサラブレッド血統センターを創立し、「競馬四季報」を創刊した息子・透の物語。戦後、早い段階で渡米してスターティングゲートなどの新しいシステム導入の立役者。立役者といえば「馬柱」「◎○▲」の表現方法を考案した人物でもある。
地方競馬に関する記述はほぼなかったが、後半は知っている話や人物が出てくるので面白く読めた。大馬主・松岡正雄がケイシュウを引き継いだのは初めて知った。あわせて冠名「インター」「キョウエイ」は経営する会社名から取られたのを確認。確かに「ケイシュウ」も使っていた。
競馬新聞の早刷り競争、といえば、自分で見たことある経験が一つあって、池袋東口におばちゃん集団がおしゃべりしているところに、バイクが乗り付けて競馬新聞を渡したのを見たこと。そこから駅地下の売店などに数部づつ運んでいたのだった。あのやり方が一番効率がよかったんだろうな。
「公営競技の文化経済学」も読了。こちらは特筆することなし。昭和22~25年くらいの公営競技主催への熱意は想像できるのだが、産業というか壮大な装置というかそうしたものがいけなくなっていく過程はもっと現代の状況を捉えないとだめか。そういえば、今の「ボックス」とか「フォーメーション」のような買い方を示す印ってどうなっているんだろう。これは競輪の三分戦でラインAとラインBが同能力の場合◎○▲×では追いつかないと阿佐田哲也も書いていたのだが。
11/23土祝:
午前中バスケットとミーティング。14時ごろまでかかるということだったので、埼スタ観戦をあきらめたのだが、早めに終わったので帰宅してテレビ観戦には間に合う。
川崎戦。CKから先制されたが後半追いついた途端に失点してしまいバランスを崩し結局1-3でレッズが敗れた。残り2試合勝ち点4差の2位。
ねぎの会へ。一昨年参加していろいろと勉強になったというか楽しく過ごせたのでまた。40人超えの宴会とか久しぶりで、でもツイッターで知る「人」を確認。
その前に須原屋で来年の手帳を買った。スケジュール管理はデジタル移行しているので、もう象徴的な意味しかないのだけれど。レジ前にあった「さいたま市手帳」「埼玉県民手帳」も気になった。
皇后杯も開幕。
11/24日:
深夜から未明にかけて異常に胸焼けがして寝ていられないほど。こんなの初めて。帰ってきてからまたちょっと食べたせいか。結局10時頃まで寝ていて何とか治まったので、レッズランドへ。
アルビレックス新潟レディースとのトレーニングマッチ。内容は内緒。人それぞれ考え方があろうが、私はすぐには書かない派。というわけで、後日更新します、とか書いておくと当座はいいんだが、必ず忘れる。新潟が公式でスコアを明らかにしているのでそれは記しておくと、45分3本で、0-0、0-0、2-1であった。失点はティファニー マッカーティー、またやられましたよ(爆)
新潟は昨日ジェフと、レッズレディースは同じくベレーザと連戦の週末だった模様。天然芝の隣ではレディースユースもトレーニングマッチを行っていてそちらも気になった。おとなしくロヂャースで買物してから帰宅。
女子サッカー的には、入替戦(吉備国大の残留)と皇后杯の日であった。
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新時々日記
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